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アメリカのブラック企業でインターン、奴隷ビザと言われるJ1ビザ

インターン時代

日本にいるときのインターンのイメージは「ビジネス英語を学びつつ、職業経験、お金も多少稼げるので、金銭的なダメージも少ない」ということでした。日本の仕事を辞めてしまっているので、最大限にやってみようと18か月のプログラムを選択。6か月、12か月、18か月という選択肢がありました。斡旋エージェントによっても、研修期間によっても斡旋費用が異なってきます。同じビザ(J1ビザ)で同じ研修期間なのに、私は60万円だった一方で、120万円払ってきたという人もいました。

実際来てみると、日本人が数人いる環境、安月給だったので住居提供という条件だったのですが、オフィスに寝泊まりするのが条件、6か月で給料ストップ。オフィスと言っても、低所得者用の2ベッドルームのコンドミニアムの1室に布団を並べて寝るというものでした(涙)。仕事はないし、社長はワンマンだし。同じ日本人でインターンに来ている人たちは今となっては心の友ですが、皆、大手企業で中堅で働いてきていて、そのキャリアを犠牲にしてまでインターンにやってきた素晴らしい能力の持ち主たちでした。

アメリカで「ワーホリ」はないのですが、アメリカインターンの場合は、職歴とインターンでの職種が一致、またはそれに沿っている職種である必要があります。あくまでも表向きは職業訓練です。ワーホリの場合は、その点緩いですが、年齢制限が厳しいので、30代では無理になります。

インターンの話に戻りますと、10か月を超えたころから、他に住居を探して暮らし始めました。お給料がストップしたままだったので、ちょこちょこ職探しをするものの、ビザの問題が引っかかってしまい、どこも挫折。某旅行会社で残りのビザのことも気にかけないところがあったので、本望ではなかったものの、そこで働き始めました。友人から「今まで辛かったんだから、残り半年を楽しむ気分でいればいいんじゃない?」と言われたのが後押しでした。そのころは希望が地に落ち、精神的にボロボロだったので、もうビジネス英語云々ではなく、確かに楽しむつもりで過ごしていました。

某旅行会社では、確かに使い捨ての若い社員の一人でしかありませんでしたし、日本人がわんさかでしたのでビジネス英語どころではなく、時給は8ドルでした。それでもお給料が出るだけ良いなと思っていましたし、いろんなホテルやアクティビティについて学べるのもプラスでした。提携ホテルで安くランチスペシャルを食べられるのが神で、たまに同僚と食べに行く、6ドルの飲茶が身に染みて、今でも忘れられません。それくらいどん底から幸せを感じることができるようになりました。

アメリカ企業側での、日本人インターンに関する認識は全く逆なのです(今もそういうところがあります)。あまりにもアメリカ人労働者が定着しないので、1年くらいでも、言語にちょっとハンデがあっても、真面目に出社する日本人を雇おうという観念があります。8年くらい前、某企業で働いていたときの依頼が「日本人労働者を日本からJ1で呼びたいので協力してくれ」ということでした。その時働いていた会社はホワイト企業だったので、何も躊躇せず手伝いましたが、そこでアメリカ企業側の心理を知ることができました。ちなみにそこの企業では、J1ビザの斡旋費用補助、あわよくば永住権までお手伝いするというものでした。アメリカでの人員確保はこれほど深刻なのです。

今となっては笑い話ですが、とりあえずアメリカでやっていけている今の私があると思うと、その経験はかけがえのない経験です。

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